私が考える負の衝動買い

また今日も本を買ってしまった。実家暮らしで日雇いを続けるニート同然の私にとっては、古本屋で二束三文な値で売られている本であっても、かなり懐へ響くものだ。

 

本来ならば、ジュースを数本買える位の少ない金額であっても生活費の足しにすべきだったはずが、ついふらりと古本屋へ立ち寄ってしまい、気付いた時には2冊の本を抱えて店を出る自分がいた。我ながら呆れてしまう。

 

長年染み付いた実家暮らし、というぬるま湯の状態がそうさせるのだろう。社会的に追い詰められているという実感が伴わない。もし、これを知ったならば両親は面白くないに決まっている。浪費を止めて早く定職に就き自立なさい、と言われるのが落ちだ。

 

それにしても私が買う本は、いつもそんな状況からの逃避を目的とした内容というより、極めて深刻な問題ばかり扱った内容のものが大半を占める。最近買った本を幾つか以下に紹介しておこう。もし詳細な内容が知りたいならば、面倒かも知れないが是非とも各自で検索するなりして調べていただきたい。

 

宮崎学著 『突破者流 殺しのカルテ』(2003年)

 

水谷竹秀 『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる困窮邦人』(2013年)

 

村上龍 『すべての男は消耗品である vol.10 大不況とパンデミック』(2008年)

 

…etc

 

どうだろう、どれも社会問題を主題として扱っている内容のものばかりだ。そして、どれも身に詰まされたり、今の状況ではどうしても考えるだけで鬱に沈みそうな問題を次々と突きつけてくるのだ。

 

多分、多くの人達にとってもこんな“暗い”内容の本は、余程のことがない限りは読みたいと思えないだろう。それでも私は手に取らざるを得なかった。これを私は勝手に“負の衝動買い”と呼んでいる。買いたくないはずなのに、何故か惹き付けられて買ってしまうことである。

 

これまでもこの“負の衝動買い”は何度も繰り返してきた。他の物に関しては殆ど衝動買いすることがないのに、こと本に関しては何故かこのケースばかりなのだ。そうして買ってきた本は、何度も反芻するように読み、その内容を自らに引きつけては更に暗澹としてしまう。

 

そんなスパイラルへ何度も落ち、心が持ち直すまで長い時間が掛かるという、傍から見ていれば“進んで自ら不幸に陥っている”としか思えない行為を繰り返しているのである。多分、私は無意識のうちに安心したがっているのかも知れない。こういう深刻な内容の本を読んでは問題を考える振りをしているに過ぎないのだろう。

 

『まだ自分は大丈夫だ』と自らに言い聞かせているだけなのだろう。所詮、人間という生物は自らよりも下位の境遇を見つけて安心したがるものだとは良くも言ったものだ。

 

でも、それを止めない限りきっと今の境遇からは抜け出すことが出来ないような気もしている。最初のほうで自らの境遇を指して“ぬるま湯の安寧”と書いたが、これもまた一種の安寧だと思う。

 

これまで何度も繰り返しているということは、そこに麻薬性があるからだ。その根源が何なのか、薄々気付いているのに抜けられない自分がもどかしい。